飛脚からペリカンへ。

昨日読んだオンライン書籍で、初めて知ったことがある。
これぞトリビア、と言えるネタ(知らなかったの私だけかもしれないが)。

題して「日本通運(日通)は、国策企業だった」


明治に入った直後、日本の書簡及び小包配送は、江戸から変わらず飛脚が行っていたそう。
飛脚は大きな都市にしか書簡や小包を届けることができず、料金も20両ほどという、高価なものであった。

前島密(まえじま ひそか)は、書簡・小包の流通が、低価格で隅々まで行き届く制度が必要だと考えた。
そこでイギリスに行った折、郵政事業を徹底的に体験・調査をする。
なんとこの時既に「郵便配達」「郵便貯金」「郵便保険」のいわゆる郵政三事業がイギリスにあった。
前島はイギリスに習い、日本で郵政制度を立ち上げた。

郵政制度が立ち上がるときに、書簡は郵便局だけが配達することができるように法整備をした。
そのときに飛脚は書簡を扱えなくなり、小包配達専用となった。
1872年に陸運元会社が設立される。これが飛脚を組織化し、小包配達に特化させた国策企業、そして現在の日本通運である。

飛脚が、まさかペリカンになるとは。

日通沿革
http://www.nittsu.co.jp/about/j-2.html

↑この沿革かなり笑った。
〜を運んだ。〜を運んだ。〜を運んだ。〜を運んだ。ばっか 笑