靖国問題

対東アジア外交の「足かせ」と言われている本問題。

第二次大戦時において、残虐非道の殺戮を指示したといわれるA級B級戦犯が、他の国事殉職者の英霊とともに合祀されている神社に、国の総理が参拝することはいかがな物か、というのが指摘されている。

これに関しては様々な解釈や意見が出ている。そしてその意見のレベル(段階)が様々なので、もはや議論にならない。論点が定まらないのだ。

ある学者は、太平洋戦争で日本が侵略目的で戦争をしたのではないという意見をだす。
アメリカの外圧により、いよいよいつ攻め込まれるかわからない緊張状態が続き、やられる前にやらなければという意識がとても強かった、ということでそうなるらしい。

ある識者は、事後法制で法が実効化する以前の人を裁くのはまずいのではないかという。
すなわち「戦犯」という言葉が適切かどうか非常に怪しいという。

昨日の報道2001という番組で、誰かが言っていた。
「日本の宗教観」について。
日本人というのは、どんな残虐非道な罪人でも、刑によって命を落としたら、もうそれで悪事をチャラにできる。
けじめをつけたということになるという。
ああなるほど、と強く思った。実際多くの日本人は、そのような感覚を持っているだろう。

ところが外国に目を向けると、そういう感覚を持っている人種は極めて少ないそうだ。
ある事件で殺された人の遺族が、殺した人が眠っている土地の上に立ち、足踏みをするのを見たという。
つまり死んでいる加害者を冒涜というか、復讐心からだろうけれども、罪は消えていない。

日本以外のほとんどの国では、そういう感覚が大勢らしい。
それをふまえ、靖国問題を考えると、うんすごくスッキリ納得できる。

日本人からすると、「なんで死刑になった人に対してまで、あんなに怒っているのか」という疑問が強い。
それに対する中国や朝鮮の反発を理解できないものだから、逆に反中・反韓意識が芽生えてしまう。

日本はアジアに対して、まずこの宗教観を説明するのが大事だろう。
そして、私は参拝を続けるべきだと考える。

あくまで参拝対象は戦犯ではなく、国事殉職者だから。