「序・破・急」と「守・破・離」

もうひと月も前の話。
今お世話になっている会社の全社集会で、ある人が一言話した。
確か話のテーマとしては、コンプライアンスに関することだった。

氏は「守・破・離」という言葉を教えてくれた。能の世阿弥の言葉だと言っていたが、今調べてみるとどうも茶の言葉らしい。

どんな芸事も、「守」つまり「型」を徹底すること。
型を会得してから、初めて「型破り」なことができる。それが「破」。
それをも会得すると、もはや「離れ業」になるという教えだそう。
つまりは基本を徹底せよというスピーチだった。

その日私は本当に良い言葉に出会えたと思った。絶対に覚えておきたかった。
ところが、人間の記憶というものは、本当にいい加減なモノで、すっかり今日の今日まで忘れてしまっていた。

昨日、id:kennjiu氏の受験勉強について、id:fmtr氏と3人でとっぷりと話し込んだ。
勉強の計画とか。
その時に、どうしても基本はしっかり押さえないと大変だろうな、なんて思っていた。
それでこの言葉を思い出した。

いや、正確には「破」の1文字しか思い出せず、それが「能」の言葉だということくらいしか思い出せなかった。
グーグルで「能 破」で検索してもなかなか見つからず、「型」という言葉を付け足すと、いいページを見つけた。

http://www.sal.tohoku.ac.jp/80thanniv/minamoto.html

ここを読んで、先のスピーチをしてくれた氏の間違いも知った。
世阿弥は、能の教えで「序・破・急」という言葉を残している。

Exciteの国語辞典で「序破急」を検索する。
http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?search=%E5%BA%8F%E7%A0%B4%E6%80%A5&match=beginswith&itemid=10151900
以下は引用である。

じょはきゅう ―きふ 【序破急】<

(1)日本の音楽・舞踊・演劇などで、楽曲構成・演出・速度などに関して三部分または三段階を想定する理論用語。(ア)を原義とし、各種の芸能に採用され、多様な意味・用法がある。

(ア)雅楽の管絃・舞楽の曲で典型的構成とされる、序と破と急の三つの楽章。曲名に付して「五常楽の急」「太平楽の急」などと呼ぶ。序(冒頭楽章)は緩徐かつ非拍節的。破(中間楽章)は緩徐ながら拍節的。急(終楽章)は急速で拍節的。

(イ)演奏速度の三段階。序・破・急の順に速度を増し、拍節的性格が強まる。「序の舞」「急の位」など、主に能で用いられる。

(ウ)楽曲構成・番組編成・演出などの理念上の三区分。上演の時間経過に伴う趣向変化の典型を想定したもので、序・破・急は導入・展開・終結とみなせる。能・浄瑠璃の脚本構成、能の五番立の番組などがこの理念による例である。

(エ)楽曲中の速度の緩急、技巧の繁簡、表情の静動などの変化を包括的にさしていう語。三味線楽・箏曲などの近世邦楽や講談などの話芸で用いられ、三区分不明確な一語として「序破急」ということもある。

より「芸事」に関した教えであろう。

先のhttp://www.sal.tohoku.ac.jp/80thanniv/minamoto.htmlに書いてあることが正確なのであれば、「序・破・急」と「守・破・離」を取り違えているページがかなり目に付いた。
「守・破・離」が観阿弥世阿弥親子の教えと書いてあるところが多い。

なんであれ、私は性格的に殊更「破」とか「離」に美徳を感じてしまう。
では「守」はできているのか。甚だ疑問である。

物事は基本が大事。そんな使い古された言い回しが、今私をチクチクと責め立てるのである。